[蔵の歴史]

単式蒸留器ポットスチルのひとりごと
さいはての地で生まれた
長期熟成麦焼酎の物語


能登半島の突端、日本海のさざ波が打ち寄せるこの場所に、私というポットスチルが据えられたのはもう60年も前のことである。

頑固な男の物語に、
そっと寄り添い続けた。


私は今、ある頑固者の物語を綴ろうとしている。
男の名は、藤野公平。大阪帝大や広島大学で醸造学を専攻。後に満州に渡り、大陸科学院でビタミンを追究した根っからの研究者である。

公平は、太平洋戦争の終結とともに能登に帰郷。昭和22(1947)年、アルコール醸造を業とする日本醗酵化成株式会社を立ち上げた。
全身鉄骨製のポットスチル、つまり私が公平に呼ばれ、工場の中央に腰を落ち着けたのは昭和25(1950)年頃のことである。
さいはての地で美しい海を眺めながら、朝から晩まで蒸留に勤しむ充実の日々を過ごしてきた。

公平は、進取の気性あふれる研究者であると同時に、頑固一徹な男であった。
とにかく妥協という言葉を知らない。来る日も来る日も最高の焼酎を求めて研究に明け暮れた。
そして私は彼の思いに寄り添いながら、ぽたりぽたり、上質の一滴を届けることに専念したのである。